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#3 ふらい人の甲乙

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 釣り人には2種類の人種が存在している、とおもう。白人と黒人のように、簡単に見分けがつけばわかりやすいが、どちらもまぎれもない日本人だから見かけだけではわからない。でもいっしょに釣っていると、なんとなくわかってくる。
 甲種を「漁師型」、乙種を「抒情型」とぼくは呼んでいる。
 漁師型の特徴は、
「おおきな魚を、あるいは数多くの魚を、釣るために釣りをする」ことであり、
 抒情型の特徴は、
「魚釣りの周辺のすべてをひっくるめて愉しむ」ことである。
 話をフライフィッシングに絞ってみる。フライフィッシングは「魚釣りの周辺」という世界がとてつもなく広い。水生昆虫の種類や棲息環境、羽化形態などに興味を持ったあげく、釣りをしている時間より、川底の石裏を調べる時間がながくなったとき、釣り人は釣り人ではなくなり、ひとりの昆虫学者となる。
 あるいはフライロッドを操ってラインを前後させる力学そのものに魅せられてしまった釣り人。キャスティングはそれだけで一つの完結した遊びであり、釣りに行く必要などなくなってしまうのだ。あるいはフライタイイングにアートを見いだす者もいる。バンブーロッドの自作に夢中になってしまう者もいる。
 フライフィッシングはかくも無限の周辺を持つ大人の遊びである。したがってフライフィッシングをする釣り人はなべて乙種「抒情派」である、といってしまいたいところだが、しかし世の中、そうそう理屈で割り切れるものではないから困る。
 じつはふらい人のなかにも漁師型と抒情型の2種が混在しているのだ。これは一見「釣り人のマトルーシュカ人形化」のように見えるが、じつは「マトルーシュカ人形化」ではなく「コロンブスの卵化」なのであって、「ふらい人が釣り人である以上は甲種か乙種のどちらかに属する」という、論旨の出発点にもどるわけなのであるが、こんなふうに理屈ばかりをいつまでも語りつづけていても埒があかないから、話をわかりやすくする。 



 フライフィッシングにおけるぼくのおおきな愉しみのひとつに「写真」がある。写真を観るのも好きだけど、撮るのはもっと好きだ。ぼくの場合、フライフィッシング熱が高じて、写真が好きになり、ネイチャーフォトから、こんどは逆流するように写真趣味全体に興味が行くようになって、とくにスナップ撮影が大好きになってblogまで始めた。遊びが遊びを呼んだわけだ。
 で、こんな経緯を辿るふらい人がけっこうおおくて、4年前にふらい人執筆陣のひとりである橘さんが中心になって仲間と集い「Angler’s Eye」という写真集を始めた。年に一回、ちょうどこの1月が〆切で各自4枚ずつ提出し、橘さんがまとめ、印刷所に回して1冊の写真集にする。今年が4冊目で、ぼくも2回めから参加させてもらっている。じつは2名のプロフェッショナル・カメラマンにも参加していだだいており、勉強会的な要素もあるのだ。5回やったら個展を開こう! とメンバーの意気はあがっているものの、じつは落ちこぼれそうになるメンバーもいる。
 Ychiさんの場合、ほんとうは写真を撮るくらいの暇があったら、ワンキャストでもおおく釣りをしていたいというのが本音なのだ。彼といっしょに釣っていると、いやいや一眼レフを防水ウエストバッグに入れているのが手に取るようにわかる。ほんとうは重く嵩張る一眼レフなんて釣り場に持って行きたくないのだ。で、ぼくはどちらかというと根が正直な方だから、
「だったら、Ychiさん、写真集やめちゃいなよ。その方がいいってば。写真集やめても、仲間として付き合ってあげてもいいからさあ」
 と、フルサイズの一眼レフを軽々しくタスキがけにしながら、いうのだ。
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 Ychiさんは、ぼくの大学の後輩で、アメリカンフットボールをしていた体育会系男子でありながらも、非常に優しく、ソフトな社交性を身につけている人で、日本フライフィッシング界のキアヌ・リーブスと呼ばれている。
「いえいえ、bbbさん、そういわないでくださいよ、がんばりますから」
 と答えつつ、河原に降りると、たちまち最初の一匹を釣り上げてしまい、カメラを構えるぼくのモデルになってくれてありがたい。
「どうぞ」
 といわれるけども、ぼくは釣り場では釣りをするより写真を撮っていたいし、なによりも後輩思いだから、
「いやいいんだ、Ychiさん、ぼくにかまわずつづけて、どんどん釣ってよ」
「いいんですか、すみません」
 といいながら、すでにぼくに背中を向け、キャストを開始しているのである。腰のカメラは漬物石ほどの役にも立っていない。あるいは前のめりになりすぎるYchiさんを多少は後ろに引き戻す効果ぐらいはあるのかもしれないが。
 そしてランチが終わったあたりで、そろそろぼくも釣るかなあ、とおもって、キャストを始めると、ぼくの背中に向かって、
「bbbさん、あの巻き返しの裏、あそこです・・・・・・、いや、ちがう、だめだなあ、そこじゃないって、もうすこしループを狭くして・・・・・・、おー、そうです、そこです・・・・・・、ほら、出た」
 とかいうのである。ほんとうに先輩思いの後輩でありがたい。
 もともと釣りは、明日を生き延びるための食料の確保手段、として始まったわけだから、たくさん、おおきな魚が釣れる方がエラい、という大前提がある。
 エラいというのは社会的にエラいわけで、村の釣れない男より、釣れる男の方が甲斐性があるということで、名にしおう隣村の美女花子さんを嫁に迎え入れることができるのである。
 といった経緯で、共同体における社会性の真っ只中から「釣り人甲種」が発生したのである。共同体内外での他人との競争や比較があってこその釣りであり、運動能力がおなじく男としての甲斐性を指し示すスポーツ競技群と、その本質的な指向性が酷似している。したがってYchiさんのような性向的に体育会気質のふらい人、性別でいえば男、が釣り人甲種に分類されることがおおい。
 釣り人甲種は魚を捕獲することに対しての執着度が強いため、かならずしもフライフィッシングだけにこだわらず、ルアーフィッシングや海釣りなどを愉しむ傾向があることはよく知られている。いいかえれば、フライフィッシングだけでは釣りに対する彼らの貪欲な欲望を満たすことができないのである。
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 一方、釣り人乙種の存在が認知されだしたのは、釣った魚を逃がすという、それまでの釣りの定義から逸脱したキャッチ・アンド・リリース時代がやってきてからのことだが、じつはそれ以前にも抒情的な釣り人は存在していた。アーネスト・ヘミングウェイによる「 Big Two-Hearted River」の主人公Nickはそんな釣り人の代表であり、じつはこの作品には、釣り人乙種発生の仕組みを繙く重要なヒントが潜んでいる。
「Big Two-Hearted River」はなんらかの事情によって疲弊しているらしいNickがミシガン州北部のちいさな川でキャンプをして、釣りをするだけの話である。この短編は2部に分かれていて、現実にヘミングウェイが体験した事実に基づいて書かれたものといわれている。Two Hearted Riverという名の川は実在している。しかし小説中のNickの足取りを辿るかぎり、ヘミングウェイがじっさいに釣ったのは隣りのFox Riverではなかろうか、というのが米国文学界、およびフィッシング界の定説だ。
 例によってヘミングウェイは小説には余計なことは書き込まず、読み手に伝わってくるのは、なんとなく疲れているかんじの主人公と、どうやら釣りによって癒されたらしい主人公の気配だけである。じっさい戦争からもどってきたばかりのヘミングウェイは心身ともに疲れていて、一晩の釣りキャンプによって癒されたようなのだ。
 ここに自然に癒される釣り人の原型がある。すなわち釣り人乙種は癒されるために森へ入り、川に身を浸して釣りをするのである。スピードアップしつづけるネット社会の現代にあっては、ストレスまみれの社会に生きている釣り人が、仕事のない休日に競争ではなく、慰安を求めるのは必然的な時代の要請であって、だからこそ釣り人乙種は勢力を強めつつあるのである。
 ぼくが参加しているAngler’s Eyeの写真集仲間はまさしく、そんな乙種抒情型ふらい人の集団であり、そもそも釣りの最中に写真を撮るなんていうのは、すでに釣りをしているとはいえないのである。そんな集団になにかの間違いで加入してしまった釣り人甲種のYchiさんは可哀想だ。
 じっさい写真を撮りながら釣りをすると、釣れない。
 釣りをしているときに、釣り以外のことをすると集中力が散漫になる。なによりも釣りにリズムが出てこない。川を遡りながらキャストを繰り返すフライフィッシングは、いってみればリズムの釣りだ。いつもひとりで釣りをする上手なふらい人が、ふたりで交互に釣ると、さっぱり釣れなくなるなんていうのは、リズムが崩れるからなのである。
 
 以上のように「釣り人甲種が釣り人乙種よりも魚をたくさん釣る」というのは、釣っている時間、リズムなどをかんがえると、まったくもってあたりまえのこと、あるいは、そうでなくてはならないこと、であり、さらに個別的に限定すれば、ぼくよりもYchiさんの方が、たくさん魚が釣れるのは偶然ではないのである。
 実質的に釣りをしていないも同然のぼくと、釣りに集中しているYchiさんと、どっちがたくさん釣れるか? なんてかんがえるまでもなかった。このように3回にわたって、深刻な記事にしたのは失敗であった。ここまで読んでいただいた皆さんには、大変ご苦労さまでした、というほかにない。
 しかし事実が明らかになり、ほっとしたというのも正直なところだ。Ychiさんが釣りがウマくて、ぼくがヘタというわけではなかったのである。あるいは、集中しないで釣っても、まあ釣れるには釣れるのだから、ひょっとすると、Ychiさんより、ぼくの方が技量が上という見方もできるのである。
 
*以上、3回連続の記事をひとつにまとめて、タイトルも変更しました。
**写真をクリックするとおおきくなります。
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by flybito | 2011-02-06 00:00 | エッセイ