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カテゴリ:エッセイ( 9 )

#28 最後の昼餐

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 鱒やさんのblogに頻出するガストーラというフランス料理店がある。羽田空港9:00発のANA釧路行に乗ると、釧路空港到着が10:35。釣り人ならば、ランチなどには目もくれず一目散に釣り場へ直行しなくてはならない時間帯である。
 ぼくだってじっさいそうするつもりなのだ。けれども、どういうわけだかこの便にかぎっていつも到着がすこし遅れる。 空港から釧路市内までは約30分。だからすこし遅れると11:30にオープンするガストーラのランチにぴったりタイミングが合ってしまうのだ。問題はこの店の食事がおいしすぎることである。これから先、2、3日セイコーマートのおにぎりがつづくとおもうと、ついつい「ビッグなニジを釣りに北海道へやってきたた」はずが、「人生、魚釣りだけじゃないし」なんて、乙種釣り人代表としておもいはじめてしまうのだ。
 昨年はお酒を飲まないYamachiさんに運転を任せて、赤ワインでいい気分になってしまった。川辺に立つ前から、すでにして釣り師として敗退しているのである。
 with GRD3 釧路
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by flybito | 2011-07-07 23:05 | エッセイ
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 知来要さんの写真展「FishWindow」へ行ってきた。広島から東京への新幹線で途中下車して、また新幹線に乗って東京にもどった、その大阪滞在のわずか小一時間の間に、ぼくの両目は清冽な水に洗われた。単なる水中写真から突き抜けた地点に到達している知来フォトの真骨頂は透明感溢れる色彩にあり、彼にしかできない作風として写真界に認知されている。
 知来さんは主にスポーツ・フィールドで活躍してきたプロフェッショナル・カメラマンで、ながい間人間を撮ってきた。そのおなじ視線を水のなかに持ち込んだのが今回の「FishWindow」であり、対象は魚や空になった。一般的なネイチャー・プロ・フォトグラファーと決定的にちがっているのは知来さんが30年以上、ひたすら人を見つづけ、カメラを向けてきた点だ。たとえば虹鱒の産卵シーンは擬人化なしには見ることができないほどの物語性がある。この2匹が産んだ子供たちはどうなるのだろうか、と一枚の写真が想像を生む。水のなかから空を撮った写真のなかにさえ物語がある。写真を見ているわたしたちはそのとき一匹の鱒になって「FishWindow」から空を眺めている。しかし勘違いしてはいけない。空や鱒に物語があるのではない。わたしたち自身のなかに物語が内在しているのだ。 人を撮りつづけてきた優れた写真家だからこそ、見る者の記憶の底に沈んでいる色や形を水中から掬い上げ、物語にすることができるのだ。
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by flybito | 2011-06-09 21:53 | エッセイ

#23 陸に上がった釣り人

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 釣れない日というものはある。どんなにがんばっても釣れない。岩手全体を覆う雨雲の下から抜け出して、秋田まで足を伸ばしたというのに釣れない。
 以前だったら、それでも夕闇にからだが包み込まれる頃まで、幽者のごとく川辺を彷徨っていたものだが、近頃のぼくたちときたら。
「釣れないねえ」
「上がりますか」
「あったかいコーヒーでも飲んで帰ろうか」
 そそくさとウェーダーを脱ぎ、ロッドをたたみ、ぼくたちは街の名所に向かい、まるっきり観光客のような顔をして、喫茶室でくつろぐのであった。
 こんなことではいけない、季節は始まったばかりというのに、これじゃいけない、釣り人として失格である、と友人の運転する車の後部座席でうとうとしながら、そうおもっていた、ような気がする。
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by flybito | 2011-05-29 01:26 | エッセイ

#22 名人の由縁

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 先週末、岩手に行ってきた。年券を買って初めての釣行で、なんとなく気持ちがおおきくなったような気がした。のは、釣り場に着くまでで、その日、岩手内陸部は10度ちかくまで冷え込み、かつ川は増水気味で状況は良くなかった。今年は東北に春がくるのが遅いようで、水仙と桜が同時に咲くのは北国らしいとしても、5月下旬はいくらなんでも遅すぎる。
 状況がわるいなかでも釣ってしまうのが、名人が名人である由縁で、岩手県を代表するふらい名人高橋啓司さんがそうだ。いっしょに釣っていて、なにが自分とちがうのかわからない。リーダーの長さや流し方も、それほどぼくと差があるようには見えない。しかし、なぜか他を圧倒して釣るのだ。
 この日も寒さとハッチのなさに、やる気をなくしていたぼくたちを尻目に、啓司さんは、つぎつぎと良い型の魚を釣り上げた。
「喰いが渋いから、なんどもおんなじところを流さなくちゃ反応しませんよ」
 といいつつ、振り下ろされた竿は、たちまち跳ね上げられて、半月に曲がる。
 そうか、そうか、何度も流せばいいわけか、としつこくなんどもおなじところを流すぼくのフライは、まるでなにごともなく平和に、ひたすら海へ向かって急ぐかのように流れ下ってゆくのである。
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by flybito | 2011-05-28 15:01 | エッセイ

#19 先輩のフライ

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 2月にJFF(Japan Fly Fishers)の年次総会が京王プラザホテルで開催された。今年は同窓会ということで、昔メンバーだったぼくのようなふらい人がたくさん集まった。ぼくがメンバーだったころ、芦沢一洋さん、佐藤盛男さん、室田賢一さんの3名が会長だったが、信じられないことには芦沢さんと室田さんは、もうこの世にいない。芦沢さんはぼくが初めて会報に載せた小文を褒めてくれた。釣りについて書いた初めての文章だっただけに勇気が湧いた。室田さんのキャスティングはほれぼれするほど美しかった。北海道ミーティングのときに、羊蹄山をバックにゆったりと往復する整ったループは初心者だったぼくの憧れだった。同窓会ならふたりにも来てほしかったのに、ふたりの姿はスライドのなかにしかなかった。
 でも、まったく会うことのなかった昔の仲間と会うことができたのは愉しかった。
 ぼくが初めて参加したアウトドアミーティングは1989年(だったとおもう)の岐阜ミーティングで、そのとき同行してくれたのがベテランの本間雅男さんで、当時たまたま近所に住んでいたから、釣りに行かないときには居酒屋に行ったりもして、ぼくにフライフィッシングのいろいろを教えてくれた。それからぼくは沖縄やシカゴにながらく駐在したりして、ほとんど会うことがなくなっていたが、JFFの総会で11年ぶりにお会いすることができた。懐かしかった。で、たまたま、またまた住まいが近くであることがわかって、先日、新百合ケ丘の駅前の焼き鳥屋で呑んだ。で、こんどは共通の知人である橘さんの鱒やにいっしょに行こうということになって、屈斜路湖モンカゲ大作戦の戦略を練るために電話したら、
「ところでbちゃん、ゴールデンウィークはどこにも行かないの?」
 という。釣りの誘いなら前回記事に書いたとおりだから、きっぱり断ろうとおもっていたら、
「ヒマでしょ、飲みに行こうよ」
 ということで、モチロン大賛成して、昨日の夕方、明るいうちから新百合ケ丘に繰り出して飲んだ。
 先輩というのはいつになっても先輩で、ぼくが後輩でなくなるときはない。本間さんはなにしろ当時からベテランなのだから、いまはなんと呼んでいいのかわからないから仮にULTRA2・SUPRA・ベテランと呼ぶが、ともかくぼくにとっては数少ない甘えることができる先輩で、他の仲間にはいえそうでいえないことをいってしまえる。
 ぼくは昔から本間さんの巻くフライが釣れるフライと信じていて、だから「最新のフライを見せてください!」といかにも後輩らしいお願いをして、昨日、居酒屋でフライを見せあった。というより、ぼくのフライにはどこにも独創性なんてないから、昨年Blue Ribbon Fliesで買った木製のフライボックスを見せたという方が正確だろうが。
 というわけで、午後になってようやく昨夜の芋焼酎がヌケてきて、いままさにこれを書いているわけだ。記事をアップしたら、さっそく本間フライを真似して巻くゾ! だから今年は例年になく釣れるはずだ! 先輩と自然は大切にしよう。
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by flybito | 2011-05-06 13:24 | エッセイ
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 ゴールデンウィークに釣りに行かなくなって久しい。
 10年近く前になるが、福島に釣りに行った。わかってはいたものの、あらゆるポイントに釣り人がいた。わかってはいたものの、まるっきり釣れなかった。わかってはいたものの、帰りの東北自動車道は渋滞していた。わからなかったのは、白河ICから東京までびっしり車で埋まるほど、渋滞が猛烈だったことだ。 たしか自宅まで7時間くらいかかった。 イライラとヘトヘトを通り越して、誤った判断をした自分自身に絶望した。渋滞は先頭にいる車の責任ではなく、自分の責任なのである。
 それ以降、一度たりともゴールデンウィークには釣りには行っていない。釣りにかぎらず、どこにも行かない。せいぜい行ってフライショップとカメラショップくらいだ。
 で、家でなにをするかというと、もちろんフライを巻くのだ。フライボックスを買って、せっせと巻き溜める。釣り場で他の釣り人の背中を見るより、車のなかでイライラするより、はるかに健康的だし、なによりも間近に迫ったベストシーズンのためになる。ぼくのようなふらい人はおおいんじゃないかな、とくに東京には。
 夜になったら、シングルモルトでも飲みながら酔眼で、自分の巻いたフライの出来にうっとりとするのは、じつに精神衛生上よろしい。ただし、飲み過ぎると写真のように、なぜかヘッドの処理を終える前にフィニッシュしてしまうこともある。
 ところで写真のスポット・ランプはLEDでポイントだけを集中して照らしてくれる。ぜんぜん熱くならないし、フレキシブル・アームがとってもながくて、タイイングにものすごく使い勝手がいい。プロフォトグラファーの新藤修一さんがblogで小物撮影用に推薦されていた。おなじ物を買いにIKEA港北店に行ったんだけど、フライタイイングにはアームがながいこっちが使い良さそうだった。1,490円は安いとおもうんだけど、じつはちかくに売っていたソーラー式の無電源スタンド(売り場にはグリーンやイエローやオレンジがあって、北欧風の簡素なおしゃれなのです)も読書用にと買ってしまった。いま使っているのはなんども傘が割れていて危ないしとか、停電の非常用にも使えるとか、なんとか自分に理由をつけて。
 まあ、ふたつ足しても3,500円くらいだから、いまどきのガソリン代でいえば25リットル程度のものだから、無駄遣いにしてはやっぱり精神衛生上いいのだ。
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by flybito | 2011-04-30 00:12 | エッセイ
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 春がやってきた。すでにして関東や四国や九州の河川ではベストシーズン後半に入っている。
 じっさい渓流のフライフィッシングの季節は短くて、それはたぶん、カゲロウやトビケラたちの生命の短さゆえのものなのだ。イブニングライズという言葉の響きは妖しくぼくたちふらい人の脳裏に響くが、あれは暑くて日中が釣りにならない夏の言い訳みたいなもので、ほんとうはまっとうな人間らしく、正々堂々と真っ昼間に大ヤマメと勝負したいのだ。
 そうおもっているのならば、東京に住んでいるぼくとしては、いままさに釣りに行かなくてはならないタイミングなのである。尺ヤマメを狙って伊豆や栃木の有名河川に立ちこむべきなのだ。日曜日にこんなふうにディスプレイと向き合っていないで。 
 というのも、気分的にはまるで盛り上がりに欠けているのである。震災の影響はある。それはたしかだ。しかしじつは毎年のことでもあって、それはどうやらフライフィッシングの重量感によるものらしい。
 やるべきこと、準備するべきことが異様におおいフライフィッシングという遊びは、だからこそやり始めは、愉しみが地平線の向こうまで広がっていて、ほとんど毎日がフライフィッシング世界そのものになる。だからちょっとコンビニにビールを買いに出かけるにしても、じつはフライフィッシングの世界圏内にいるのであって、いいかえれば、ビールを買うのもフライフィッシングの一部なのである。
 しかしながら世の中に年老いない新妻がいないように、フライフィッシングとの蜜月もいつかは終わり、ビールとフライフィッシングは見知らぬ他人同士の関係にもどる。
 結婚とちがって、フライフィッシングは冬の間はいっしょに暮らさなくても問題が起こらないが、いったん自由の身のありがたさを知ってしまうと、春がきて、またいっしょに暮らすことをおもうと、やらなくてはならないたくさんのことや責任をおもいだし、面倒だという気持ちになる。
 ぼく自身の話をすれば、なによりも、あたらしいフライを巻くのがおっくうである。冬の間にフライを巻きためるふらい人は、どちらかというとマイナーな種族らしく、ぼくも例外ではない。フライは巻きつづけないときれいに仕上がらないから、半年近くのブランクの後に巻くフライはきまって、出来がわるい。それがわかっているから、いよいよ巻きたくなくなる。

――やりはじめる前に、やる気を起こすことは人間の脳にとっては難事業である。やる気を出すためには、発想を逆にしなくてはならない。脳は、やり始めると、やる気が出るのである。
 という説を5、6年前に脳科学者の池谷裕二氏と糸井重里の対談本で知った。怠け者であるぼくとしては、じつに腹立たしい学説で「じゃあ、やる気なんて必要ないじゃん。だってやる気が起こったときには、もうすでにやってるんでしょ」と絡みたくなったわけだが、ムリもない、脳はぼくそのものなのである。怠け者でないわけがない。やりはじめる前にやる気が出るのは性欲くらいのものなのだから情けない。
 といいつつも、そういわれてみれば、おもいあたるフシもあって、仕事はまさしくそうで、仕方ないからポーズで始めたところが、そのうち気分が乗ってくることのほうがおおいし、文章を書くなんていう行為もまさしくそうである。脳は意外に単純で、やっているフリをすると、すんなりと騙されてしまうのだという。つまり、やる気を起こすには、自分の脳を騙せばいいわけだ。なんだか、ものすごく複雑に聴こえるが、早い話がなにもかんがえずに、やりはじめればいいのである。
 それでも怠け者のぼくの脳は手強いのである。なにもかんがえずに、始めるということができないのである。コーヒーを淹れたり、本を読んだり、バイスを横目で見ながら、いろいろとぐずぐずしているうちに、カメラ関係のホームページや通信販売のサイトなんかをふらつきはじめてしまうのだ。
 やはり騙すしかない。やる気がないのに、まるでやる気があるように、「浜辺の歌」か「赤とんぼ」あたりを口ずさみつつバイスに向かい、Blue Ribbon Fliesのホームページなどを見て、新フライパターンで脳に刺激を与え、なんでもいいから真似して巻いてみる。そしてあるとき、新しいフライボックスを買うことが、かなり効果的であることを発見した。空の物を満たしたいとおもうのが本能なのか、向上心なのか、知らないが、ともかく巻く気になるのである。
 どうやらぼくにとってフライボックスは新妻との新居のようなものらしく、不思議なことには、だんだんボックスが埋まってきて、徐々に居ても立ってもいられなくなり、ライン・クリーニングを始めたり、意味もなくバンブーロッドをケースから取り出したりして、気がつくと友人に電話を掛けて、今度の週末は? などと口走っているのである。
 
 とここまで書いて、ひょっとするとこういった軟弱さは乙種ふらい人だからこそなのではないか、と唐突におもいついた。甲種ふらい人の方々は、また別の気持ち、というか、常に変わらない激しい釣欲で春を迎え、本能のおもむくままにフライを巻きまくり、週末になれば夜明けを待たずに車を走らせているのだろう。フライボックスとか、いちど決めてしまうと気にもならず、きっと甲種ふらい人にとってフライフィッシングは永遠の新妻で、実生活ではやれそうにないことをフライボックスに象徴させるぼくのような乙種ふらい人的複雑怪奇な憂さ晴らしとは無縁なのだろう。こんど生まれ変わったら甲種ふらい人になって、一生一個のホイットレーで満足したい。

*ジェンダーフリーになるような記述を目指しましたが、「新妻」に対するふさわしい男性名詞を捜し出すことができませんでした。「新妻」は差別語ではなく、新鮮さのなかに微妙にエロティシズムが潜む日本語固有のニュアンスがあるとご理解いただけると信じて、このまま掲載させていただきます。
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by flybito | 2011-04-24 20:46 | エッセイ

#3 ふらい人の甲乙

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 釣り人には2種類の人種が存在している、とおもう。白人と黒人のように、簡単に見分けがつけばわかりやすいが、どちらもまぎれもない日本人だから見かけだけではわからない。でもいっしょに釣っていると、なんとなくわかってくる。
 甲種を「漁師型」、乙種を「抒情型」とぼくは呼んでいる。
 漁師型の特徴は、
「おおきな魚を、あるいは数多くの魚を、釣るために釣りをする」ことであり、
 抒情型の特徴は、
「魚釣りの周辺のすべてをひっくるめて愉しむ」ことである。
 話をフライフィッシングに絞ってみる。フライフィッシングは「魚釣りの周辺」という世界がとてつもなく広い。水生昆虫の種類や棲息環境、羽化形態などに興味を持ったあげく、釣りをしている時間より、川底の石裏を調べる時間がながくなったとき、釣り人は釣り人ではなくなり、ひとりの昆虫学者となる。
 あるいはフライロッドを操ってラインを前後させる力学そのものに魅せられてしまった釣り人。キャスティングはそれだけで一つの完結した遊びであり、釣りに行く必要などなくなってしまうのだ。あるいはフライタイイングにアートを見いだす者もいる。バンブーロッドの自作に夢中になってしまう者もいる。
 フライフィッシングはかくも無限の周辺を持つ大人の遊びである。したがってフライフィッシングをする釣り人はなべて乙種「抒情派」である、といってしまいたいところだが、しかし世の中、そうそう理屈で割り切れるものではないから困る。
 じつはふらい人のなかにも漁師型と抒情型の2種が混在しているのだ。これは一見「釣り人のマトルーシュカ人形化」のように見えるが、じつは「マトルーシュカ人形化」ではなく「コロンブスの卵化」なのであって、「ふらい人が釣り人である以上は甲種か乙種のどちらかに属する」という、論旨の出発点にもどるわけなのであるが、こんなふうに理屈ばかりをいつまでも語りつづけていても埒があかないから、話をわかりやすくする。 

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by flybito | 2011-02-06 00:00 | エッセイ

#2 春の案件

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 昨日、夕方の6時過ぎのことだ。オフィスのフロアひとつ下にいるIさんから内線があって、
「いま、ちょっと時間ありますか?」
 というから、階段を下りていったら、
「釣りのことなんですが」
 と持ちかけられた。
 Iさんとは仕事でも日常的に関わり合いがあって、会話の初めにまずは、仕事か、釣りかを明確にしなくてはならない。
 昨年、ぼくたちは春先の雪解け前に、出かけるべき川に行って、氷雨に打たれ、すこしだけ釣れて、釣れなかった分たくさん酒を飲んだ。ほとんど愉しい思い出はなかった。酒はどこで飲んでも愉しいから、わざわざ遠くに行って飲む必要なんてないのだ。
 しかし愉しくなかったからといって、釣りを止めるわけにはいかない。
 それがぼくたちふらい人の苦しいところだ。
 打ち合わせコーナーのソファに向かい合って坐って、その場で名古屋支店の同期Gに内線を掛けたが、出ない。
「出ない。仕事してるのかもな」
 会社の仲間が、ソファのまわりを行交うが、おなじビルでもひとつのフロアに400人ちかくいるから、ひとつフロアがちがうだけで、知らない顔ばかりになる。
「あらっ、bbbさん、お久しぶりです。今度はどんな案件ですか?」

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by flybito | 2011-02-05 00:00 | エッセイ