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  www.flybito.com             ふらい人のblogです。フライフィッシング関連サイトへのリンクやコメントをお待ちしています。           


by flybito
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#17 乙種ふらい人の畳とフライボックス

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 春がやってきた。すでにして関東や四国や九州の河川ではベストシーズン後半に入っている。
 じっさい渓流のフライフィッシングの季節は短くて、それはたぶん、カゲロウやトビケラたちの生命の短さゆえのものなのだ。イブニングライズという言葉の響きは妖しくぼくたちふらい人の脳裏に響くが、あれは暑くて日中が釣りにならない夏の言い訳みたいなもので、ほんとうはまっとうな人間らしく、正々堂々と真っ昼間に大ヤマメと勝負したいのだ。
 そうおもっているのならば、東京に住んでいるぼくとしては、いままさに釣りに行かなくてはならないタイミングなのである。尺ヤマメを狙って伊豆や栃木の有名河川に立ちこむべきなのだ。日曜日にこんなふうにディスプレイと向き合っていないで。 
 というのも、気分的にはまるで盛り上がりに欠けているのである。震災の影響はある。それはたしかだ。しかしじつは毎年のことでもあって、それはどうやらフライフィッシングの重量感によるものらしい。
 やるべきこと、準備するべきことが異様におおいフライフィッシングという遊びは、だからこそやり始めは、愉しみが地平線の向こうまで広がっていて、ほとんど毎日がフライフィッシング世界そのものになる。だからちょっとコンビニにビールを買いに出かけるにしても、じつはフライフィッシングの世界圏内にいるのであって、いいかえれば、ビールを買うのもフライフィッシングの一部なのである。
 しかしながら世の中に年老いない新妻がいないように、フライフィッシングとの蜜月もいつかは終わり、ビールとフライフィッシングは見知らぬ他人同士の関係にもどる。
 結婚とちがって、フライフィッシングは冬の間はいっしょに暮らさなくても問題が起こらないが、いったん自由の身のありがたさを知ってしまうと、春がきて、またいっしょに暮らすことをおもうと、やらなくてはならないたくさんのことや責任をおもいだし、面倒だという気持ちになる。
 ぼく自身の話をすれば、なによりも、あたらしいフライを巻くのがおっくうである。冬の間にフライを巻きためるふらい人は、どちらかというとマイナーな種族らしく、ぼくも例外ではない。フライは巻きつづけないときれいに仕上がらないから、半年近くのブランクの後に巻くフライはきまって、出来がわるい。それがわかっているから、いよいよ巻きたくなくなる。

――やりはじめる前に、やる気を起こすことは人間の脳にとっては難事業である。やる気を出すためには、発想を逆にしなくてはならない。脳は、やり始めると、やる気が出るのである。
 という説を5、6年前に脳科学者の池谷裕二氏と糸井重里の対談本で知った。怠け者であるぼくとしては、じつに腹立たしい学説で「じゃあ、やる気なんて必要ないじゃん。だってやる気が起こったときには、もうすでにやってるんでしょ」と絡みたくなったわけだが、ムリもない、脳はぼくそのものなのである。怠け者でないわけがない。やりはじめる前にやる気が出るのは性欲くらいのものなのだから情けない。
 といいつつも、そういわれてみれば、おもいあたるフシもあって、仕事はまさしくそうで、仕方ないからポーズで始めたところが、そのうち気分が乗ってくることのほうがおおいし、文章を書くなんていう行為もまさしくそうである。脳は意外に単純で、やっているフリをすると、すんなりと騙されてしまうのだという。つまり、やる気を起こすには、自分の脳を騙せばいいわけだ。なんだか、ものすごく複雑に聴こえるが、早い話がなにもかんがえずに、やりはじめればいいのである。
 それでも怠け者のぼくの脳は手強いのである。なにもかんがえずに、始めるということができないのである。コーヒーを淹れたり、本を読んだり、バイスを横目で見ながら、いろいろとぐずぐずしているうちに、カメラ関係のホームページや通信販売のサイトなんかをふらつきはじめてしまうのだ。
 やはり騙すしかない。やる気がないのに、まるでやる気があるように、「浜辺の歌」か「赤とんぼ」あたりを口ずさみつつバイスに向かい、Blue Ribbon Fliesのホームページなどを見て、新フライパターンで脳に刺激を与え、なんでもいいから真似して巻いてみる。そしてあるとき、新しいフライボックスを買うことが、かなり効果的であることを発見した。空の物を満たしたいとおもうのが本能なのか、向上心なのか、知らないが、ともかく巻く気になるのである。
 どうやらぼくにとってフライボックスは新妻との新居のようなものらしく、不思議なことには、だんだんボックスが埋まってきて、徐々に居ても立ってもいられなくなり、ライン・クリーニングを始めたり、意味もなくバンブーロッドをケースから取り出したりして、気がつくと友人に電話を掛けて、今度の週末は? などと口走っているのである。
 
 とここまで書いて、ひょっとするとこういった軟弱さは乙種ふらい人だからこそなのではないか、と唐突におもいついた。甲種ふらい人の方々は、また別の気持ち、というか、常に変わらない激しい釣欲で春を迎え、本能のおもむくままにフライを巻きまくり、週末になれば夜明けを待たずに車を走らせているのだろう。フライボックスとか、いちど決めてしまうと気にもならず、きっと甲種ふらい人にとってフライフィッシングは永遠の新妻で、実生活ではやれそうにないことをフライボックスに象徴させるぼくのような乙種ふらい人的複雑怪奇な憂さ晴らしとは無縁なのだろう。こんど生まれ変わったら甲種ふらい人になって、一生一個のホイットレーで満足したい。

*ジェンダーフリーになるような記述を目指しましたが、「新妻」に対するふさわしい男性名詞を捜し出すことができませんでした。「新妻」は差別語ではなく、新鮮さのなかに微妙にエロティシズムが潜む日本語固有のニュアンスがあるとご理解いただけると信じて、このまま掲載させていただきます。
by flybito | 2011-04-24 20:46 | エッセイ