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#4 山村聰『釣りひとり』

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「トラ・トラ・トラ」以来、ぼくにとって山村聰は山本五十六でありつづけ、後年、小津安二郎が大好きになって『宗像姉妹』や『早春』を名画座で観たときは、どうにもしっくりこなかった。
 という程度の感想が山村聰のすべてであった。つい先日「釣りひとり」(二見書房)を読むまでは。
 この本は2月号からふらい人に参加される川野信之さんから薦められた。 新刊はないが、版を重ねた本なので「非常に良い」古本を手に入れることができた。 ぼくはハウスダスト・アレルギーなので、古本はよほど吟味して手に入れなくてはならないのだ。アマゾンでいえば、「良い」ではダメで「非常に良い」でなくてはならない。「可」はネットの画面で文字面を見ただけでくしゃみが出そうになる。
「釣りひとり」を読んでいる間、ぼくの口からはいちどもくしゃみが発せられることはなく、代わりになんども盛大な溜め息が出た。溜め息はおもに、失われた日本の美しい釣り場への郷愁と、山村の文章力に対してのものだった。
 この本が出版されたのは昭和49年、いまから37年前のことだが、山村が語るおおくはそのさらに前の時代のことである。山村自身は最終的にへらぶな釣りにのめり込んだが、この本にかぎっていえば、なぜか海の釣りに印象的な文章がおおい。ことに『江戸前の釣り』のなかの『青ぎすの脚立釣り』は短いながらも、全編中の白眉である。であるから、ここに全文を引用する。
 というような荒技ができるのも、21世紀のネット/デジタル世界ゆえではあるが、しかしぼくたちは、その代償として、おそらく下のような世界を失っている。



青ぎすの脚立釣り

 砂町から浦安へ抜ける途中に、葛西橋があった。人からきいたのが病みつきで、終戦直後よく通った。橋桁にからんでいる黒鯛が狙いなのだが、せいごも釣れた。橋はまだ木造であったと思う。

 頭上に電線が走り、頭上投げが出来ないので、欄干から、真直ぐ下に向けて竿を垂らし、大きく反動をつけて下手投げで振りこむ。夏の夜の、涼みがてらの釣りで、多いときは三十人程も並んだ。橋の欄干に立てかけた竿先には、鈴をつけておき、魚信は音でとるのである。気長な釣りであった。釣師は思い思いに入り乱れ、夏の夜話である。見る阿呆の涼み客も加わった。まだ車の少い時代であったが、けたたましい警笛を鳴らして、ひとの背中すれすれに車が通り過ぎる。そのたびに、さんざめきの輪がほどけ、また、輪を結んだ。ようやくのことで、鈴音が鳴る。すると、全員がその竿にかけつける。野次馬の歓声につつまれて、魚が踊りながら上がってくる。運がいいと、尺物の黒鯛が五、六枚は上がった。もちろん全員合わせての勘定だから、殆どがあぶれで、まことにのどかな釣りであった。

 しかし、この黒鯛釣りは、江戸前とは言わない。江戸前とは、江戸のすぐ前の、沖釣りのことを言うのである。


 浦安沖の、青ぎすの脚立釣りこそは、伝統的な江戸前の釣りであった。関西にも、この脚立釣りがあり、倉掛けと呼ぶそうだが、詳しいことは何も知らない。

 船が宿を出るのは、まだ暗いうちの早暁である。釣場に付くと、海中に脚立をたて、その上に一人ずつ、客をおろして行く。海の上の、岡釣りである。青ぎすが釣れるまでは、長びくを海中におろさない約束になっていて、目的魚以外の外道は、決して、びくに入れない習慣であった。それが、船頭にとっての目印で、釣れない客のためには、場所移動を行うのである。非常にむずかしい釣りで、ひと口に言うと、極端な早合わせに手練を要した。はっきりした魚信を待っていては、もう間に合わないのである。滅法、引きが強く、釣れた感触は抜群であったが、私など、何が何やら決め手のないままの盲合せで、釣れても釣れなくても、もうひとつ合点が行かないままに終わった。とても、ひとに能書を並べる資格はない。ただ、釣りの情緒だけは卓抜であった。

 ときは、初夏のはじめ、青ぎすの乗っ込みである。朝が特にいい。脚立の上にただひとり置き忘れられた孤独感。ひょいとした糸ふけも見逃すまいとして釣糸を見つめていると、波のまにまに、自分がたゆとうているような、妖しげな眩暈(めまい)をおぼえてくる。自分は、脚立の上の岡で動かない。動いているのは、水である。その水が、爽やかな潮の香に、きらきらと輝いている。まだ工場は少く、空も水も美しかった。いつ頃、誰が編み出した釣法かは知らぬが、いかにも、江戸の丁髷(ちょんまげ)が似合いそうな、いなせな雰囲気が、まだ、十分に残っていた。

 以上、山村聰『釣りひとり』の『江戸前の釣り』から引用

 デジタルの引用元は
http://www.tsurihitori.com/
 絶版している『釣りひとり』のすべてを上記サイトで読むことができる。山村聰の友人のどなたかが、この本の素晴らしさを次世代の日本人に引き継ごうと1冊丸ごとデジタル化されたようなのだ。ぼくのような古本アレルギーがある人にお薦めだ。
 それにしても、この江戸前の美しい光景がいまはもうないなんて、
「いったい日本はどうなって行くのだろう」
 と開高健が語ったこと自体が、すでにして遠い昔のことなのだから、盛大な溜め息のひとつやふたつもつきたくなるというものだ。

 しかし、山村がこの本を世に出したかったほんとうの理由は、じつは「昔は良かった話」をしたかったからではない、とぼくは確信している。本の後半三分の一が「へら竿のすべて」に充てられていて、釣り人以外の読者には話が専門的すぎる。だから釣り人のぼくには、もっともおもしろい。
 郷愁と諦念の気配のなかで、静かに水面を見つめているような前半の随想とは一転し、寝ても覚めても、竹竿のことしか頭になく、おそらくは演技のひとつやふたつに、ダメ出しを喰らったんじゃないかと勘ぐりたくなるほど集中している山村がここにいる。竿という道具に対する山村の進行中の熱狂と撞着が行間に横溢しているのだ。
 山村は抑制の利いた前半のスタイルを捨て、こうでなくてはならない、こうあるべきだ、という強い口調で、へら竿について饒舌に語る。さらにおどろいたことには、熱中のあまりに自分で製作を始めてしまうのである。

 随想のなかで語られていることだが、山村はじつは俳優でありながら、8年間釣具屋を経営していた。そのあたりの顛末の物語的面白さはともかく、釣りに対する彼の想いは、そっくりぼくやこれを読んでいるあなたと同一で、ほとんど病といってしまっていい。比喩ではなく、その本能的な部分が刺激されているという点でも、おそらくいちばん近いのは恋愛である。
 ノーマン・マクリーンの『A River Runs Through It』は、「わたしは水に取り憑かれている」という文章で終わるが、山村の『釣りひとり』のなかにも随所に「水が好きなのだ」という言葉が出てくる。
 洋の東西を問わず、優れた書き手による酷似した感覚に気づいたそのほんの一瞬、ぼくは水平線の遥かの彼方に現れた「釣りの神様」の顔を見たような気がした。ご一読を、強くお薦めする。
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by flybito | 2011-02-12 00:00 | ふらい人の書棚